留学は自分の視野を広げる?!

 みなさまこんにちは!私がこのトリコンチネントディグリープログラムに参加させていただいて1年が経ちました。この1年を通して私が思ったことは貴重で大きな経験をしていると感じたことです。海外に行ったことがなかった私は日本を客観視することはとても難しいものでした。ただ英語という外国語を勉強することに魅力は感じておりました。自分の視野が広がるからです。また、異文化を知る事にも魅力を感じておりました。これもまた視野が広がるからです。私はこの留学でまさしく視野が広がっていると感じております。では、視野が広がるとは具体的にどういうことなのでしょうか。

 外国語の勉強をすることは自分にとって新しい概念を増やしてくれます。すなわち、日本語にない概念を勉強することができるのです。例えば、お店で売っている商品を英語では基本的に「commodity」と言いますが、「goods」や「item」ではだめなのでしょうか。それらは類語ではありますが全く同じ意味ではなく、細かな概念が異なります。また「crazy」という単語を日本語で表すことは難しいと思います。一言で表すことはできない、つまり日本語にはない概念だからです。この英単語は主にポジティブな意味を持ちますが「ばかげている」、「気の狂った」となってしまうため、ネガティブになりがちです。だからこそ「crazy」を日本語で表し考えるのではなく、「crazy」は「crazy」という新しい言葉として覚えることが重要です。

 スイスの言語学者のソシュールは「異なる言語をつかうと、世界は違って見える」という名言を残しました。私がタイに来る前のセブ島のブログで少しだけソシュールについて触れたこがありますが、実際英語を勉強するにあたってソシュール説を実感したのでお伝えします。まず、ソシュール説についてですが、言葉はコミュニケーションのためだけに使われる手段にすぎないという「道具説」と物事に名前を張り付けただけだという「言語名称目録説」を間違いだとし、ソシュールは言語の分節性を示唆しました。「言葉は混沌とした世界を分節して秩序を与え、世界を認識するためのものである」と書いたのです。言葉があることによって世界が広がるということです。生まれたばかりの赤ちゃんは外の世界を見たとき、何が何だかわからない、いわゆるカオスな世界をみています。そこに物の名前などの知識を持つことで秩序が加わるということです。また彼は「言語の恣意性」も指摘しました。つまり、根拠もなく身勝手に名前が付けられます。例えば丸くて赤く甘い物体を「りんご」と勝手に名付けています。ただ、ここで言語の分節性がはっきりと見えてくると思います。留学するにあたってこの分節性の概念を知っているかどうかで自分の世界観の大きさが変わってきます。先ほどと同じ「りんご」と名付けられた物質でも英語圏の人たちは「apple」と呼びます。本来その物質自体にもちろん名前はございませんが、多数の名前が世界中で付けられているというわけです。これが分節性です。では、この分節性がどのように特に留学生たちに視野をひろげてくれるのでしょうか。例えば、これは以前も述べたのですが英語圏の人々が牛を見たときに彼らは「cow」や「ox」とメスかオスで名前が異なります。したがって、メスかオスかを判断する場合が多いようですが、日本人は性別がどちらであろうと牛は牛だと判断します。つまり、1つのものに対して違う言語では見え方が変わってくるということです。英語を使うことで新しい見え方を発見することができます。

 ソシュール説の1つに「言語は差異の体系である」という説があります。これもまた特に留学生は実感することができると思います。言葉の意味は隣接する他の言葉との「差異」によって決定されるということを頭に入れて外国語を勉強すると視野が広がり楽しくなると思います!例えば、橙色は黄色と赤色の中間、いわゆる隣接しあっているわけです。もし橙色の概念が抹消されたとき、はたしてその色は黄色か赤色のどちらの枠に入ると思いますか?また、同じイヌ科の動物である、犬と狼と狸の中で狸という概念が抹消されたらあの動物は犬か狼かどちらに入るのでしょうか。そもそも狸は狸と呼ばれているので犬でも狼でのないのではないかと日本人は思うかもしれません。しかし、英語では「raccoon dog」つまり「犬」なのです。こうして英語圏の人々は狸を犬の1種だと考えていることが分かります。それが今までの日本語の世界にはない新しい世界の見え方だと思います。

 グローバルな視野が広がることに影響するものは言語だけではなく文化もあります。日本のような「恥の文化」はよくアメリカをはじめとする「罪の文化」と対比されがちですが、「恥の文化」と対極に位置するのは中華人民共和国の「中華思想」だとしてもおかしくないと思います。多国籍のクラスメイトと会話する中でやはり「空気を読む」という文化は日本だけで中国人のクラスメイトは「デリカシーの概念などはない」と言っておりました。私が以前、指摘した「ジェンダーの固定概念」ですがタイ、カンボジア、ミャンマーなどの国ではとても強いことも知りました。男女の友情は考えられないとその国のクラスメイトは言っております。日本も昭和時代まで強かったジェンダーの固定概念もグローバルな視点に立つことで令和の時代でなくなるといいですね!

タイに残る中国の施設

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